免疫力とクマザサ

戦国武将の健康食と免疫力

戦国武将の健康食と免疫力

戦国武将の平均寿命と庶民の平均寿命

戦国時代という激動の中でも戦に向かい、名を轟かせ一国を築き、現代にも多くのファンを作るほどの求心力のあるとても魅力的な戦国武将たちは、平均60歳から70歳ぐらいのご長寿であったことが知られています。

代表的な方を例に上げると、皆さんのよく知っている豊臣秀吉は62歳、健康オタクとして知られている徳川家康は75歳。大河ドラマでも人気を博した毛利元就は75歳と、当時は医学や食事の発達が今ほどではないものの、現代にも負けず劣らずのご長寿揃いです。

当時の庶民の平均寿命は武士で42歳。庶民に至っては30歳!?という驚きのデータがあります。庶民に比べて、武将の皆様はとても大切にされて良いものを食べ、健康に気をつけた生活をされてらしたのでしょうね。

健康意識高い系?!戦国武将のオリジナル健康法

戦国武将と呼ばれる皆さんはそれぞれ独自の健康維持法を用いていたと言われています。戦術の達人たちは、自身の健康維持にも様々な工夫を凝らしていたのですね。少しですが紹介します。

織田信長

織田 信長の場合
織田信長は病気になった記録が残っていない!と書いている資料もたくさんあります。お酒を飲まず、水泳や乗馬などとにかく体を鍛えることにいそしんでいた信長は、10階建てのビルの高さに相当する山城の上り下りを日常的に行うことで足腰を鍛えていたと言われています。
現代では太ももの筋肉を鍛えることは全身状態を良好に保つために有効と言われていますが、知ってか知らずか有酸素運動をたくさん行っていたのですね。

豊臣秀吉

豊臣 秀吉の場合
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の健康法はなんといってもお茶!織田信長の家臣として使えた豊臣秀吉は、その時ブームになっていた茶の湯に親しむことも多かったとか。カフェインやタンニン、アミノ酸、ビタミンCの豊富なお茶は疲労回復や食欲増進効果にも期待できるとか。また豊臣秀吉は老年期には能を演じることもあり、適度に運動不足を解消していたのでは?という説もあるようです。

徳川家康

徳川 家康の場合
健康についての探求心が強かった徳川家康は、野草に魅了され100種類以上も薬草を栽培する農園を持っていたようです。抗酸化作用のある薬草を食べることで体の廊下を防ぎ、病気から身を守っていたのですね。また禅に親しんでおり、坐禅を日常的に行うことで腹式呼吸を行い、脳をリラックスさせて心身のストレスを軽減されていたのでは?と言われています。

真田幸村

真田 幸村の場合
絶えず戦で傷が絶えなかった真田幸村の健康法は炭酸温泉に入ることだそうです。二酸化炭素の細かい粒子が肌に入り込むことで血行を促進し、疲労回復や冷え性などに良いとされています。今でも炭酸の入浴剤は人気ですよね。当時はまだまだ情報もない中、ご本人はそのことを知っていたのでしょうか?

武田信玄

武田 信玄の場合
味噌を戦地に行く前に用意し、戦地につく頃出来上がるように仕込んでいたとも言われる武田信玄の健康食はとにかく味噌!こだわりを持って味噌を作り、里芋の茎で作った縄に酒、鰹節と共にしみこませて乾燥した物を戦地に持参していたそうです。戦地ではそれを水やお湯に浸すことで即席の味噌汁が完成。貴重な栄養源としていたわけです。

戦国武将の食事とは?やっぱり豪華絢爛?

戦国武将の一日の食事の内容は一汁一菜が基本でご飯(玄米や雑穀)の量が最も多く、1回の食事で2合5勺(今の茶碗5杯分)も食べていました。汁物は味噌汁や塩汁など、おかずは野菜や海草、蒲鉾や納豆などの加工食品、梅干し、漬物、鳥類や魚の肉などさまざまです。このように普段の戦国武将たちの食事は質素なものでした。

戦国時代はまだまだ医療は未発達。食事と生活習慣で病気と戦っていた

常軌の武将たちも、最終的には疫病や戦に倒れてしまうわけですが、ご長寿になるために食生活や生活習慣を整える必要性はあることを理解していたようですね。長野県や新潟県には笹に寿司を包む笹寿司や今でも人気の笹団子がすでにあったということで、上杉謙信や人々の生活のとても近くに笹が存在し、必要とされていたようです。熊笹エキスのルーツにも関連しているといいなと思うささまるでした。

【参考文献】

・ニッポン放送「健やかDAYS」- #42 戦国武将の健康の源とは?
・新紀元社 池上良太「図解 戦国武将」
・山本七平/永畑恭典「戦国名将、人物を知る辞典」 

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